室浜砲台は、明治31年(1898)着工、日露戦争宣戦布告「明治37年2月10日(水)」の直前に備砲完了。広島は呉をはじめとする陸海軍の重要施設や、多数の艦船泊であり、これらを防衛する為、広島湾を取り巻く要塞の一環として作られたものである。

 室浜砲台は眼前の大野の瀬戸が航行可能な小艦艇の防圧を想定されており、1〜2個小隊(50〜60人)による戦闘態勢が取られた。
 備砲は、4基の高性能フランス・シャナイダー社製「斯加式9cm速射加農砲」最大射程距離6850m(室浜から廿日市地御前神社あたり)弾量9kgその他口径7cmと思われる青銅旧式野砲がある。
これら砲台は、日露戦争終結までに実戦を経る事無く、やがて豊予・下関砲台等の完成により、広島湾要塞はその役割を終え、大正15年廃止、内務省に移管。昭和38年広島大学理学部附属宮島自然植物園の所管となる。

 砲台全体の構成は、自然の地形が巧みに利用され、石材、コンクリート、レンガ(積み方はイギリス組方式)等で堅固に構築された、明治後期の近代要塞である。

近代化遺産 (室浜砲台)

室浜砲台予想図(宮島町 大谷 晋氏寄贈画)

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