東広島キャンパスの遺跡/鏡東谷遺跡南地区
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鏡東谷遺跡南地区
南地区では、弥生時代の建物跡2棟、古墳時代の横穴式石室1基、室町時代の郭状施設6ヶ所、建物跡3棟、池状遺構1ヶ所、江戸時代の土坑墓7基などが発見されました。
弥生時代の遺構は、室地時代の館を造るために大規模な造成を行っていることから大半が失われているようです。建物跡は作業場および倉庫と思われます。横穴式石室は調査区の南端部で発見しましたが、元々あった墳丘はほとんど残っていませんでした。室町時代の遺構は良好な状態で残されていました。大規模な館を構成した施設の一部と思われます。
鏡東谷古墳(横穴式石室、古墳時代)
横穴式石室を内部主体とする直径約10mの円墳ですが、盗掘を受けて墳丘はほとんどありませんでした。天井石や側壁の一部も抜き取られて、副葬品も持ち去られていましたが、石室のそのほかの部分ははよく残っていました。
石室の全長は約4.8m、奥壁部分で幅2.5m、高さ1.2mの規模があります。玄室(お棺を安置する部分)と羨道(通路部分)の区別は石室平面的な形ではわかりませんが、玄室にあたる部分に板石を敷きつめています。この地域では珍しい形式です。入り口(羨門)には石や土を詰めて封鎖してありました。少なくとも3回の埋葬が行われており、敷石は最後の段階で行われたようです。敷石の下や古墳の周囲から、須恵器提瓶、土玉が出土しています。須恵器の型式から古墳時代後期(6世紀後葉)に造られた古墳であることがわかります。
2号掘立柱建物跡(SB03、室町時代)
南地区では掘立柱建物跡が3棟発見されています。2号掘立柱建物跡は3棟の建物の中ではもっと北側に位置し、南北4.8m、東西2.8mの規模(南北2間、東西1間)をもつ南北に長い建物です。通路状に細長い5号郭状施設の南端部に建てられています。
3号掘立柱建物跡は東西に長い建物で、東西4.2m、南北2mの規模です。東西2間、南北2間の総柱建物で、倉庫と思われます。4号掘立柱建物跡は東西2.6m、南北1.6mの小規模な建物です。用途はよくわかりませんが、倉庫の付属施設と思われます。これらの建物は、階段状に造成した郭状施設(平坦面)の上に建てられています。東西の郭状施設の端は急傾斜に造成されており、防御的機能を持っていると思われます。
南地区の中世の遺構は出土の遺物から、室町時代中頃(15世後半~16世紀前葉)に造られたものと思われ、大内氏が安芸国を支配するための拠点として築城した鏡山城にともなう館跡の一部と思われます。
2号土坑墓(SK02、江戸時代)
平面の形が楕円形をした円筒状のお墓で、長径1m、短径90cm、深さ70cmの規模があります。床の形はいびつな隅丸長方形をしていることから、死者は上下に長い箱形のお棺に納められていたものと思われます。座った状態でお墓に葬る座棺と呼ばれる形式で、江戸時代では一般的な埋葬の形です。お墓の中には人骨(足の骨)が残っていたほかは何も出土しませんでした。
南地区では、このほかに6基の土坑墓が発見されました。7号土坑墓が火葬墓であるほかは、2号土坑墓と同じ座棺の形式です。また、1号および7号土坑墓は大きさから子供のお墓と考えられます。これらの土坑墓からは人骨以外の出土物がないためはっきりした時期はわかりませんが、お墓の形式や墓所としてすでに管理されていないこと、銘を刻んだ墓石が全くみられないことなどから、江戸時代後期を中心に営まれたものと思われます。