広島県の植物研究史 明治・大正より昭和初期

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2.明治・大正より昭和前期(1868~1945年)

 広島県では1874(明治7)年に白島学校(1875.広島県公立師範学校と改称)が創設され,1890(明治23)年には片田豊太郎によって「広島県尋常師範学校植物園草木目録」が出版されている.尋常師範学校は現在の広島大学学校教育学部の前身にあたるもので,当時比治山のふもとに校舎があった.この目録には,広島県および東京以西から集められた栽培種も含めて1170余種が記録されている.和名と漢名,効用が記され,学名は記載されていないが,広島県の植物を自然分類法に基づいて系統的に記録した初めてのものと思われる.植物園で栽培されているものの原産地が記載されていて,その中には大朝にオニバス,海田にはハマビシが記録されているなど,現在からみると驚くような記述がある.片田の経歴についてはよく分かっていないが,「広島県師範学校一覧」(1908)によると,1886(明治19)年8月から1895(同28)年2月まで,尋常師範学校に勤務しており,農学士であった.

 この「広島県尋常師範学校植物園草木目録」が出来た1890(明治23)年は,第1回帝国議会が開催された年である.その前年,イギリスが香港を植民地化した年であった.東京帝国大学教授矢田部良吉は,1890(明治23)年10月の植物学雑誌で「泰西植物学者諸氏に告ぐ」という英文の宣言文を発表し,これから日本の植物は日本の学者によって学名をつけると「独立宣言」をした.そのような時代に,一地方に過ぎなかった広島で自然分類法による目録を編纂したことは特筆に値するであろう.どのような文献を参考にしたのであろうか.1877年に東京大学最初の出版物といわれる「小石川植物園草木目録」が出ているが,「草木目録」という表題もよく似ているので,片田がこれを参考にしたものであろう.

 広島高等師範学校は1902(明治35)年に創設された.また,広島高師の博物学会は1903(明治36)年に創立され,その後,活発に活動を続け,現在の広島大学生物学会に継承されている.東京大学総合資料館には「1905, Hiroshima High Normal School」と書かれた宮島産のサンヨウアオイの標本が保存されている.これは当時,広島高等師範学校の助手であった白神寿吉(しらがじゅきち)(1880~1970)の採集したものと思われる.白神は岡山県出身で1905年に植物学教室の助手となり,1915年まで在職している.シラガブドウ(Vitis shiragai Makino)は,彼が岡山県で発見したものである.後年,新見市の名誉市民に推挙されている.

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目次

  1. 黎明期
  2. 明治・大正より昭和前期(1868~1945年)
  3. 戦後(1945年)~現代

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