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= 宮島の植生 =
 
= 宮島の植生 =
 
== 弥山原始林の植生と植物 ==
 
== 弥山原始林の植生と植物 ==
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=== 2.昭和のはじめまで ===
 
=== 2.昭和のはじめまで ===
 
 江戸時代に起った山火事(やまかじ)で,弥山原始林など一部を残して,宮島の森林のほとんどが焼けてしまったと考えられています.現在ある植生は,基本的には,その後,自然状態で回復(かいふく)したものです.ただし,宮島の一部の場所では,明治から昭和にかけて,とくに大戦(たいせん)の前後に,いくらか手を加えた形跡(けいせき)があります.例えば,現在広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所の敷地(しきち)になっている道沿(ぞ)いに,約2000 本のサクラ(ソメイヨシノなど)が植栽(しょくさい)されたという記録も残っています.また,紅葉谷などで見られるカエデ類も,おもに江戸時代末期から現在にかけて植えられたものが成長して,大きくなったものです.現在では,周囲(しゅうい)と調和(ちょうわ)し,宮島になくてはならない景観(けいかん)の一つになっています.
 
 江戸時代に起った山火事(やまかじ)で,弥山原始林など一部を残して,宮島の森林のほとんどが焼けてしまったと考えられています.現在ある植生は,基本的には,その後,自然状態で回復(かいふく)したものです.ただし,宮島の一部の場所では,明治から昭和にかけて,とくに大戦(たいせん)の前後に,いくらか手を加えた形跡(けいせき)があります.例えば,現在広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所の敷地(しきち)になっている道沿(ぞ)いに,約2000 本のサクラ(ソメイヨシノなど)が植栽(しょくさい)されたという記録も残っています.また,紅葉谷などで見られるカエデ類も,おもに江戸時代末期から現在にかけて植えられたものが成長して,大きくなったものです.現在では,周囲(しゅうい)と調和(ちょうわ)し,宮島になくてはならない景観(けいかん)の一つになっています.
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=== 3.現在の植生 ===
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 日本の高度成長期(こうどせいちょうき)に行われた研究では,その当時の植生が記録されています.鈴木ほか(1975)によれば,当時,宮島全体の90%弱(じゃく)がアカマツ林などの二次林であるとされています.ただし二次林といっても,宮島のものは山火事や伐採(ばっさい)後に自然に更新(こうしん)し,そこに現れる種などの構成に影響がない自然度の高い二次林です.
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 現在,島の面積(めんせき)の90%以上が国有林(こくゆうりん)で,そのほとんどが森林です.また,大元公園などで見られるモミ・ツガ林や,山頂(さんちょう)付近で見られる植生,とくに岩船岳(いわふねだけ)の頂上付近で見られる[[コウヤマキ_宮島の植物と自然|コウヤマキ]]林などは自然度の高い森林で,非常に貴重(きちょう)なものです.
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== 山火事と植生の回復 ==
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 1984(昭和59)年に宮島南西部御床浦(みとこうら)付近から出火(しゅっか)した山火事では,島の面積の約1/10にあたる約250 haが焼失(しょうしつ)しました.その後,焼け跡(やけあと)は自然の回復力(かいふくりょく)にまかせていたところ,[[コシダ_宮島の植物と自然|コシダ]]が一面覆(おお)った状態(じょうたい)になっていました.20年以上経(た)った現在では,[[アカマツ_宮島の植物と自然|アカマツ]]林になりつつあります.あと100-200年経てば,宮島本来の常緑(じょうりょく)の植物が優先(ゆうせん)するうっそうとした森になることが予想(よそう)されます.
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== 宮島以外の島の植生は本土と似ている ==
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 宮島以外の瀬戸内海の島で人の住んでいる島では,本土と似(に)た植生になっています.海で隔(へだ)てられた島であっても,その島に特異(とくい)な植生が必ず存在するわけではありません.また,小さな無人島(むじんとう)でも特異な植生が見られますが,それほど豊かな植物相(しょくぶつそう)は見られません.宮島だけが他の島では見られない植生になっています.この理由として,宮島では,稲作農業(いなさくのうぎょう)がほとんど行(おこな)われなかったために,里山(さとやま)が形成(けいせい)されず,結果として瀬戸内海に存在する本来(ほんらい)の植生を保(たも)つことができたと考えられます.周囲の植生が里山になったため,現在では周(まわ)りとは異(こと)なった植生が存在するのです.
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== 「宮島の植物と自然」内のページ ==
 
== 「宮島の植物と自然」内のページ ==
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== 文献(引用) ==
 
== 文献(引用) ==
* [[広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所_2009|広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所(編), 坪田博美・向井誠二.  2009.  宮島の植物と自然, 8版.  160 pp.  広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所, 廿日市.]]
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* [[広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所_2009|広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所(編), 坪田博美・向井誠二.  2009.  宮島の植物と自然, 8版.  160 pp.  広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所, 廿日市.]]
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==文献(参考文献)==
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*[[関ほか_1975|関太郎・中西弘樹・鈴木兵二・堀川芳雄.  1975.  厳島(宮島)の維管束植物.  天然記念物瀰山原始林・特別名勝厳島緊急調査委員会(編), 厳島の自然, 総合学術調査研究報告, pp. 211-332 + pls. XLII-XLIII.  宮島町, 広島.]]
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*[[坪田・中原-坪田・向井・内田・向井_2015|坪田博美・中原-坪田美保・向井美枝子・内田慎治・向井誠二. 2015. 厳島(宮島)の維管束植物の和名索引. 宮島自然植物実験所ニュースレター 23: 2-15.]]
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[[Category:植物]]
 
[[Category:宮島の植物と自然]]
 
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[[Category:宮島]]
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[[Category:維管束植物]]
 
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[[Category:被子植物]]
 
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[[Category:裸子植物]]
 
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[[Category:シダ植物]]
 
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