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=== 1.明治のはじめまで ===
 
=== 1.明治のはじめまで ===
 
 宮島の植生は,昔からあまり手を加えられることなく比較的自然な状態で保たれてきたと考えられています.しかし,まったくの手つかずだったと言うわけではありません.例えば,廿日市市に現存する洞雲寺(とううんじ)に対する1541(天文(てんぶん)10)年発行の許可書(きょかしょ)が残(のこ)っており,従来(じゅうらい)通(どお)り宮島で薪(まき)をとってもよいという内容が記されています.また,江戸時代には宮島奉行(ぶぎょう)という森林行政機関(ぎょうきかん)が置かれていました.明治になって行なわれた調査の際の資料にも,薪炭(しんたん)用として利用されたという記録が残っていますが,森林犯罪者(はんざいしゃ)に対する刑罰(けいばつ)の記述(きじゅつ)があり,森林を利用しながらもかなり厳密(げんみつ)に管理(かんり)されていたことが伺(うかが)えます.
 
 宮島の植生は,昔からあまり手を加えられることなく比較的自然な状態で保たれてきたと考えられています.しかし,まったくの手つかずだったと言うわけではありません.例えば,廿日市市に現存する洞雲寺(とううんじ)に対する1541(天文(てんぶん)10)年発行の許可書(きょかしょ)が残(のこ)っており,従来(じゅうらい)通(どお)り宮島で薪(まき)をとってもよいという内容が記されています.また,江戸時代には宮島奉行(ぶぎょう)という森林行政機関(ぎょうきかん)が置かれていました.明治になって行なわれた調査の際の資料にも,薪炭(しんたん)用として利用されたという記録が残っていますが,森林犯罪者(はんざいしゃ)に対する刑罰(けいばつ)の記述(きじゅつ)があり,森林を利用しながらもかなり厳密(げんみつ)に管理(かんり)されていたことが伺(うかが)えます.
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=== 2.昭和のはじめまで ===
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 江戸時代に起った山火事(やまかじ)で,弥山原始林など一部を残して,宮島の森林のほとんどが焼けてしまったと考えられています.現在ある植生は,基本的には,その後,自然状態で回復(かいふく)したものです.ただし,宮島の一部の場所では,明治から昭和にかけて,とくに大戦(たいせん)の前後に,いくらか手を加えた形跡(けいせき)があります.例えば,現在広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所の敷地(しきち)になっている道沿(ぞ)いに,約2000 本のサクラ(ソメイヨシノなど)が植栽(しょくさい)されたという記録も残っています.また,紅葉谷などで見られるカエデ類も,おもに江戸時代末期から現在にかけて植えられたものが成長して,大きくなったものです.現在では,周囲(しゅうい)と調和(ちょうわ)し,宮島になくてはならない景観(けいかん)の一つになっています.
    
== 「宮島の植物と自然」内のページ ==
 
== 「宮島の植物と自然」内のページ ==

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