宮島の植生は,昔からあまり手を加えられることなく比較的自然な状態で保たれてきたと考えられています.しかし,まったくの手つかずだったと言うわけではありません.例えば,廿日市市に現存する洞雲寺(とううんじ)に対する1541(天文(てんぶん)10)年発行の許可書(きょかしょ)が残(のこ)っており,従来(じゅうらい)通(どお)り宮島で薪(まき)をとってもよいという内容が記されています.また,江戸時代には宮島奉行(ぶぎょう)という森林行政機関(ぎょうきかん)が置かれていました.明治になって行なわれた調査の際の資料にも,薪炭(しんたん)用として利用されたという記録が残っていますが,森林犯罪者(はんざいしゃ)に対する刑罰(けいばつ)の記述(きじゅつ)があり,森林を利用しながらもかなり厳密(げんみつ)に管理(かんり)されていたことが伺(うかが)えます. | 宮島の植生は,昔からあまり手を加えられることなく比較的自然な状態で保たれてきたと考えられています.しかし,まったくの手つかずだったと言うわけではありません.例えば,廿日市市に現存する洞雲寺(とううんじ)に対する1541(天文(てんぶん)10)年発行の許可書(きょかしょ)が残(のこ)っており,従来(じゅうらい)通(どお)り宮島で薪(まき)をとってもよいという内容が記されています.また,江戸時代には宮島奉行(ぶぎょう)という森林行政機関(ぎょうきかん)が置かれていました.明治になって行なわれた調査の際の資料にも,薪炭(しんたん)用として利用されたという記録が残っていますが,森林犯罪者(はんざいしゃ)に対する刑罰(けいばつ)の記述(きじゅつ)があり,森林を利用しながらもかなり厳密(げんみつ)に管理(かんり)されていたことが伺(うかが)えます. |