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2019年4月7日 (日) 09:08時点における版
ヒコビアミニレターNo. 495(2019年3月24日)
2019年3月17日の第619回植物観察会は,広島市安佐南区山本町 武田山(410.5 m)で行われた.10時にJR可部線下祗園駅に集合.参加者52名.武田山は,鎌倉時代の末期に武田信宗によって銀山城が築かれたところである.佐東銀山城は巨岩を巧みに利用した城で,不落の要塞として知られており,300年間も続いたが,1541年に毛利元就の奇策によりついに落城したとされる.銀山城を攻め落とすには裏山から奇襲するしか方法がないとして,毛利軍は千足の草鞋に灯油火をつけて太田川の上流から流して籠城兵の目を前方の戸坂方面に向けさせて,裏山から攻め込んで陥落させたと言う.戸坂千足の地名もこれによる.下祗園駅から北西方向に武田山山頂を目指して山麓部を上って行くと武田山憩いの森に着く.ため池が4つあり,一番上の池の所が登山口である.スギ・ヒノキ植林の谷筋を上って尾根道に合流する.ナナメノキ,アラカシ,シラカシ,タブ,リンボク,カゴノキ,クロキ,ネズミモチ,シロダモ,ヤブニッケイ,カクレミノ,ヤブツバキ,ヒサカキ,サカキなどの照葉樹が多く見られた.特にリンボクとシラカシが予想外に多かったように感じた.逆に,ネジキ,ネズ,コバノミツバツツジ,ソヨゴ,アセビなどのアカマツ林の植物が少ないようであった.露岩地にヒトツバが目立つ.山頂の岩場にコジイ(胸高直径39 cm)が1本,沢山の果実をつけたリンボク,アラカシ,ヒノキ,ネジキ,コナラ,コシアブラ,ヤダケ,シキミ,テイカカズラが見られた.帰りは武田山の南斜面を下り,東山本を経由して下祗園駅に向かった.南斜面には,アセビ,イヌツゲ,リョウブ,ネズ,コシダ,ウラジロ,アカマツ林要素の植物やアベマキ,コナラなどの落葉広葉樹が豊富に見られた.露岩地にシロバナタンポポ<\del>シロバナウンゼンツツジが点在していた(武田山北方の荒谷山南斜面にもあり,分布上興味深い).
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