青銅銭

提供: 広島大学デジタル博物館
ナビゲーションに移動検索に移動

広島大学 > 広島大学デジタル博物館 > 文化財博物館 > 埋蔵文化財豆辞典

青銅銭(せいどうせん)

  • 青銅製のお金の総称で、主として型に流し込んで鋳造した。
  • 東アジアでは中国に起源があり、春秋時代(紀元前770~403年)末の布銭(ふせん)が最古の青銅銭と言われている。弥生時代には中国・朝鮮の器物が

日本列島にもたらされ、半両銭(はんりょうせん、秦の貨幣)、五銖銭(ごしゅせん、前漢の貨幣)、貨泉(かせん、新の貨幣)などの中国の青銅銭が含まれていた。もちろん、当時の日本列島の人々に本来の意味が理解できたとも思われず、宝器的な器物として所有されたのであろう。

  • 日本で青銅銭が始めて鋳造されたのは飛鳥時代の富本銭(ふほんせん)が最初と言われており、その後和銅開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)をはじめとする皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん、708~958年まで鋳造された12種類の青銅銭)が鋳造され貨幣として流通したが、多くの人々が貨幣を利用して生活する社会ではなかった。
  • 本格的な貨幣経済へ移行するのは中世からで、青銅銭が主要な貨幣として流通したが、中世の日本では中央政府は貨幣を鋳造せず、中国から多量の青銅銭を輸入して賄った。
  • 日本で再び中央政府による青銅銭の鋳造が始まるのは近世になってからで、天正通宝(てんしょうつうほう 1587年)がそれである。その後、江戸幕府によって鋳造された寛永通宝(かんえいつうほう、1636年初鋳)が江戸時代を通じて通貨の基層をなした。江戸時代には幕府が貨幣の鋳造を一手に掌握したが、仙台通宝のように藩が幕府の許可を得て鋳造したものや、幕府に無許可で藩が鋳造した密造銭があり、藩内だけでなく全国に流通した。