鉄銭
提供: 広島大学デジタル博物館
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鉄銭(てっせん てつせん)
- 鉄製の銭はあまりポピュラーではないが、江戸時代後期には東北地方などを中心に鉄銭がかなり流通した。これは貨幣経済の進展により、青銅銭が不足するようになったが、原料の銅を増産することが困難であったため銭の素材として鉄の利用を許可したためといわれる。当時、仙台藩や南部藩など東北地方太平洋側の地域では製鉄が盛んに行われていたことなどから鉄銭鋳造の中心地となったものと思われる。
- 当時鋳造された鉄銭の一つに仙臺(台)通宝(せんだいつうほう)があり、これはその名が示すとおり、仙台藩で鋳造されたものである。仙台藩(伊達氏)は1726年(享保11年)に幕府の許可を得て石巻に銭座を開設し、寛永通宝を鋳造した。主として藩内で流通したが、余りは江戸に運ばれ幕府が買い上げた。こうして鋳銭の下請けをすることにより藩財政の一部を支えたといわれている。
- 仙台藩で鋳造された寛永通宝の裏には仙台藩を示す「仙」あるいは「千」の文字が鋳出されており、青銅銭だけでなく、鉄銭も作られた。その後、天明飢饉による困窮を打開するため、幕府の許可を得て1784年(天明4年)に鋳造された鉄銭が仙臺(台)通宝である。寛永通宝のような一般的な方孔円銭と異なり、角の丸い方孔角銭であり、特徴的な形をしている。寛永通宝に比べて質が悪く、たちまちインフレになったようである。また、南部藩に流入し、多量の密造銭が鋳造されたといわれている。
- この仙台通宝が遠く離れた広島大学東広島キャンパス内の鏡東谷遺跡1号土坑墓から出土している。鉄製であるためかなり錆びており、文字を判別するのは困難であるが、掲載の写真でも目を凝らしてみると、孔のすぐ上に「仙」を認めることができる。どのような人々の手を経て遠く安芸(広島県西部)の地まで運ばれてきたのだろうか。
東広島市鏡東谷遺跡1号土坑墓出土の鉄銭(江戸時代)