片田豊太郎
提供: 広島大学デジタル博物館
ナビゲーションに移動検索に移動片田豊太郎 Toyotaro Katada
生い立ち
- 1862年8月~1931年8月(69歳)
- 広島市鉄砲町(現:中区八丁堀)で生まれる.
- 1881年(明治14年)9月に県費留学により,駒場農学校入学.
- 1886年(明治19年)7月に駒場農学校の農学科を卒業.
- 1886年(明治19年)8月広島県尋常師範学校の教員に任命.
- 1889年(明治22年)に農学士の称号が与えられた.
- 1895年3月に広島県尋常師範学校を離職.同年5月高等官として鹿児島県技師任命.農事試験場長等歴任.
- 1900年5月に福岡県の技師として任命.農事試験場長等歴任.1913年5月まで務める.
- 1913年8月東京府の出納吏,東京府立農林学校長等に任命.
- 1915年5月大阪府農学校長に任命,大阪の公立実業学校長任命.
- 1925年の4月に辞職.
- 鹿児島県の技師・福岡県の技師の時代,大日本農会農芸委員を務める.
- 他に,大阪府農会特別議員,第4回内国勧業博覧会(京都)の委員,第5回内国勧業博覧会(大阪)委員,東京大正博覧会の審査官,九州においては柑橘類の品評会の審査長もしている.勧業関係に携わっていたと思われる.
関連ページ
- 黎明期
- 明治・大正より昭和前期(1868~1945年)
- 戦後(1945年)~現代