植物観察会/KansatsukaiPageMiniLetter478

提供: 広島大学デジタル博物館
ナビゲーションに移動検索に移動

ヒコビアミニレターNo.478(2017年12月26日)

 2017年12月23日の第602回植物観察会は広島市中区東千田町1-1-89の広島大学東千田キャンパス(S棟205講義室)で勉強会として開催された.天気はくもりで,参加者は37名.13:30から3名の演者が講演を行った.講演内容は,「白花系タンポポの果実の外部形態と起源」(GSC広島/広島所学院高等学校 阪本 愛),「広島県の帰化植物」(坪田博美),「蕪村に学ぶ植物地理」(垰田 宏) であった.坂本さんは高校生で,広島大学の実施するGSC広島で選抜され,2016年度末から宮島自然植物実験所で研究を進めており,その成果について発表頂いた.関太郎先生から山根氏(広島県緑化センター・広島県立広島緑化植物公園)のコケ植物の写真展や,ツチトリモチの花の構造の写真の説明があった.3名の演者の後,花田トシさんから植物観察会の約10年間の記録の印刷物の配布と説明があり,16:10頃解散した.なお,各講演内容については以下の要旨を参照のこと.

(H. Tsubota & S. Uchida 記)

講演要旨

阪本 愛(GSC広島/広島女学院高等学校):白花系タンポポの果実の外部形態と起源

 タンポポ属植物Taraxacumはキク科の草本で,黄または白い花を咲かせる.タンポポは北半球に広く分布し,多くのタンポポが黄色の頭花をつけるが,白色の頭花をつけるものが世界で5種だけ存在する.日本には15種の在来タンポポが生育しており,そのうち白花系タンポポは4種知られている.本研究では,白花系タンポポの起源とこれらタンポポの果実の形態的特徴を明らかにすることを目的として,果実の形態測定と葉緑体DNAハプロタイプの比較を行った.主成分分析の結果,白花系タンポポは共通して果実が大きく,重量は重く,冠毛柄の長さが中間的な値を示すという形態的特徴をもっていた.また,黄色の頭花を持つヤマザトタンポポと白い頭花を持つキビシロタンポポが果実の外部形態が非常に類似していることが示された.一方で果実重量に関する多重比較検定の結果では,この2種に統計的に有意な差が確認された.葉緑体DNAハプロタイプの比較から白花系タンポポは全て同じ型を持ち,モウコタンポポを母系とする系統であることが示唆された.またキビシロタンポポとヤマザトタンポポのハプロタイプは異なっていた.白花系タンポポの分布域は狭いものが多いことが知られており,これは果実の形態的特徴を反映したものであるかもしれない.また,ヤマザトタンポポとキビシロタンポポは果実の重量に加えて,葉緑体DNAハプロタイプも異なっていることから同種ではないと言える.


坪田博美:広島県の帰化植物

 帰化植物は本来その地に自生していなかった植物種が,人為的な導入や偶発的に運ばれるなど何らかの理由により本来の自生地から運ばれて,新たな土地に侵入・定着したものをさす.もともとは国が意識された概念であったが,同じ国内でも最近になって定着する例も知られるようになり,移入植物とよばれることもある.帰化植物の概念として,古い時代に稲作などに伴って日本に入って来たと考えられるいわゆる史前帰化植物を含めるか否かなど,いくつかの意見があるが,ここでは明治以降に侵入・定着したものを対象とする.  帰化植物(外来種)は,在来種の個体数減少や定着した土地の生物多様性の低下などの影響を与えることが知られており,生物多様性や生態系を維持する上で注意する必要がある.また,外来種の定着により農業被害などの経済的損失が生じることも知られている.これらの植物が一度定着してしまうとその管理は非常に困難になるとともに,外来種の問題は在来生態系への影響が表面化するまで対応が遅れるケースが多い。このため,外来種については初期段階での対応が重要になる.  広島県の帰化植物については,太刀掛(1982)がまとまった報告の初期のものである.その後,広島県内の各所の調査の過程で報告がなされているが,まとまった報告としては吉野ほか(2007)太刀掛・中村(2007)などがあげられる.世羅ほか(2010)によれば,広島県で確認された維管束植物約2,800種のうち約400種が人為的な分布と考えられる種とされている.しかしながら,広島県内の帰化植物の2017年現在の状況を把握できる正確なリストとしては十分なものはなく,広島市植物公園などが中心になってブルーリスト作成の検討が現在始まっている.本発表では,広島県の帰化植物のうち最近生育が確認されたり,問題となっている種のいくつかについて報告する.

引用文献


垰田 宏:蕪村に学ぶ植物地理

 タンポポの花が黄色というのは関東地方だけの「常識」である.セイヨウタンポポなどの外来種が入る前,九州地方ではタンポポの花は白色ばかり,中国・四国・近畿地方などでは黄花と白花が混在していた.このことを,240年も前に記録しているのが俳人・与謝蕪村である.蕪村円熟期の「俳体詩」の代表作「春風馬堤曲」と「北壽老仙をいたむ」は,その土地に生育する植物の姿を明確に捉えもので,和漢朗詠の極致でもある.ぜひ,声に出して読んでいただきたい.

参考文献

  • 與謝蕪村(1716~1783)江戸中期の俳人・画家。本姓は谷口、のちに改姓。摂津・毛馬村生まれ。:
・春風馬堤曲、夜半楽(1777年刊)所収
・北壽老仙をいたむ、二世晋我編:晋我50回忌追善集・いそのはな(1793年刊)所収(蕪村の作品を世に知らしめたもの)
  • 正岡子規(1913)俳人蕪村、籾山書店、東京、岩波文庫(1955)
  • 萩原朔太郎(1936)郷愁の詩人与謝蕪村、第一書房、東京; 岩波文庫(1988)

デジタル自然史博物館 / 広島大学 / 宮島自然植物実験所 / 植物観察会のトップ / 過去のヒコビアミニレター / 古いNews | 植物 にもどる