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宮島 御床山南西に砲台確認
 8月27日に宮島の南側に砲台跡が今でも残っていると言うことから、現地確認に行ってきました。同行者は、広島湾の砲台に詳しい宮島町在住の大谷 晋氏に同行してもらった。現地に行くには、多々良から尾根伝いに岩船山〜御床山〜現地まで行かねばならず、大変な労力を要します。
 今回は、宮島の長浦・あてのき浦までボートでいき、藪こぎをしながら山頂へ向かいましたが、現地に着くのに3時間30分を要しました。全く道がないので、手探り状態でかなりきついコースでした。

 砲台は、宮島にも鷹巣砲台(高砲台と低砲台で28cm流弾砲)と室浜砲台(9cm速射砲)の2つが有名であるが、その他に砲台があることは、ごく限られた人しか知られておらず、現地を確認された方はごく僅かしかいないと思われます。ただ、前記の鷹巣砲台や室浜砲台が、明治30年代の日清・日露戦争の時代であるのに対し、今回の砲台は、第二次世界大戦の時代であることから、時代的にずれが有ります。
こちらの砲台は、第二次対戦の防対空砲台であり、空からの攻撃に備えて配備され、この位置からは南側約180度射程距離に納めることが出来る位置に配備されておりました。
現地は、御床山尾根つたいに降りたところで、標高230mの小高い山の山頂に配備されておりました。配置は、北側から大型水槽〜兵舎跡〜司令官建物〜高射砲の位置に並んで建物跡等がありました。
兵舎跡は、写真にも分かるとおり、基礎部分、台所、トイレ、水槽などコンクリート部分だけ残っておりました。司令官室は、建物の跡全体が残っておりました。
現地から東側を望む。下側は、山白浦遠方に見えるのは阿多田島方面です。
こちらからは、可部島が手前に見え、遠方が岩国・大竹方面です。
砲座が今でもそのまま残っておりました。直径90cmのセメントで出来ておりました。
御床山との中間の尾根に煉瓦とセメントで固めれた構築物
風呂か、水槽だと思われます。
流し台だと思われます。
建物の跡
建物跡の基礎部分のみ残っておりました。
水槽か風呂だと思われます。
全く見えない位置にこの建物があった。藪こぎをしていて偶然見つけ出したが、こんなに大きな建物があるとは、驚きでした。
今でも建物の外形がそのまま残っておりました。
建物西側からの写真
建物東側からの写真
建物西側からの写真:レンガを中心に
セメントで固められていました。
水槽が建物の横にありました。当時は、水の保存が大切であった。特にこの辺一帯には、
全く水源が見当たらなかった。
建物の中の写真:建物は15mX9m前後の大きさであった。コンクリートで大きく2つに部屋が分かれてあった。
建物の中の写真:これは、建物中で間仕切りされた跡のようである。