「広島高師 山男の歌」の版間の差分

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=== 歌詞(豊原源太郎氏保存のものより) ===
 
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同じ山への 憧れ(あこがれ)を 胸に抱いて(いだいて) 行く(ゆく)道は
 
同じ山への 憧れ(あこがれ)を 胸に抱いて(いだいて) 行く(ゆく)道は

2013年10月22日 (火) 21:39時点における版

広島高師 山男の歌

広島高等師範学校 山岳部第一歌 山男 「廣島高師 山男の歌」 神尾明正 作詞,武山信治 作曲

歴史

この歌は,広島高等師範学校の山岳部第一歌として作られたものであるが,その後山岳部のメンバーが多く所属していた広島大学内の理学部植物学教室や教育学部などで歌い継がれてきた.なお,現在唱われている歌詞にはいくつか細かい違いがあるものが存在する.また,芹洋子のヒット曲「坊がつる讃歌」は本歌の替え歌であり,広島大学がオリジナルである.

関係部署

など

歌詞

歌詞(豊原源太郎氏保存のものより)

1. 同じ山への 憧れ(あこがれ)を 胸に抱いて(いだいて) 行く(ゆく)道は 教えの道ぞ 山男 広島高師の 山男

2. 人皆花に 酔う(よう)ときも 残雪恋(こ)いて 山に入(い)り 涙を流す 山男 雪解(ゆきげ)の水に 春を知る

3. 広島の山は 低くとも 夏は故郷の 山が待つ 岩をよずれば 山男 無我(むが)を悟(さとる)は このときぞ

4. 深山(みやま)紅葉(もみじ)に 肩時雨(かたしぐれ) テント濡(ぬ)らして 暮れてゆく 心なき身ぞ 山男 ものの哀れ(あわれ)を 知るころぞ

5. 街(まち)の乙女(おとめ)ら 想い(おもい)つつ 尾根の処女雪 蹴(け)立てては シュテムボーゲン 山男 浩然(こうぜん)の気は 止み(やみ)難し(がたし)

6. 同じ教えの 道を行く(ゆく) まぶたに浮かぶ 山の道 道は一つぞ 山男 広島高師の 山男

歌詞(尚志会神戸支部 1981)

1. 同じ山への 憧れを 胸に抱きて 行く道は 教への道ぞ 山男 広島高師の 山男

2. 人みな花に 酔ふときも 残雪恋ひて 山に入り 涙を流す 山男 雪解の水に 春を知る

3. 広島の山 低くとも 夏は故郷の 山が待つ 岩をよづれば 山男 無我を悟るは この時ぞ

4. 深山紅葉に 片時雨 テント濡らして 暮れてゆく 心なき身の 山男 もののあわれを 知る頃ぞ

5. 町の乙女ら 想ひつつ 尾根の処女雪 け立てては シュテンボーゲン 山男 浩然の気は 言ひ難し

6. 同じ教への 道を行き まぶたに浮かぶ 山の道 道は一つぞ 山男 広島高師の 山男 広島高師の 山男

解説(尚志会兵庫県支部 1981から抜粋)

この歌は山岳部の歌であるが,戦中,戦後に在学した学生達が好んで唱ったものである.廣島高師学友会山岳部の記録に”新作部歌成る.昭和15年8月,神尾兄作詩・武山氏作曲,ハ長調なるものを,ト調に直す.少し淋しくはあるけれども,落付いた曲である.ゆっくりうたって欲しい芦立寛”とある.当時山岳部のキャップであった芦立寛(文科第一部4年在学)氏が中心となり,高師地理教室助手であった神尾明正氏と共に作詞,それを芦立氏の姉婿で当時栃木師範学校の音楽の先生であった武山信治氏に作曲を依頼,その曲を記録のようにト調に編曲したものといわれている.

芦立氏の事については宮城県出身,昭和12年入学,昭和16年3月卒業,引きつづき文理科大学心理学科へ進学,昭和19年卒業後,山形師範学校教諭となり,昭和22年郷里の宮城師範学校に転任,学制改革により東北大学教育学部講師,昭和27年,県立農業短期大学教授,学生部長を歴任されたが,昭和48人故人となられたという.学生時代は豪放磊落,常に温顔をもって人に接した.世話見のよい人柄で後輩,部員の面倒をよく見,絶好の山のリーダーであったという.

この歌は5年程前(1981年の編集時点で)”坊ヶ峯(つる)讃歌”という名称で,曲はそのままで歌詞を変え,人気歌手芹洋子が唱い,ヒットメロディーとして電波に乗り,NHKも”みんなの歌”で取上げるというブームを呼んだ.

太平洋戦争で,多数の同窓を失い,又広島原爆で学校は灰燼となり,幾多の研究者が犠牲になるという不幸の中で,この山男の歌が静かに唱われ,廣島高師の伝統をつたえてくれたことは,忘れてはならないことである.

MIDIファイル

このページは豊原源太郎の資料を元に坪田博美がホームページ化およびMIDIファイル化したものです.

pdfファイル

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