東広島植物園/平和大使

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平和大使 Messenger of Peace

森戸初代学長の植樹

 総合大学としての新しい広島大学が発足した翌年の1950年(昭和25年),初代学長として赴任された森戸辰男先生は,廃墟になった大学の復興と建設のためにいくつかの目標を掲げられましたが,その一つに平和で国際性豊かな大学緑化がありました.昭和26年のはじめ,次のような主旨の文書を送って大学緑化への協力を求められました. 「世界最初の原子爆弾によって荒廃し殆ど緑樹のない焼野原になった大学を,赤錆色の大学ではなく,平和の色,希望の色であるみずみずしい緑色で埋めたいので協力をお願いしたい.ここに学ぶ数千の学生たちが,自分の憩っている木陰が,自分が歩いている通りの並木や学舎のまわりの樹木が,外国のあの大学,この大学の好意ある賜物であることを知り得たとすれば,それは千言万言の説法にまさる平和精神の鼓吹とならないでしょうか.」  この手紙の反響は,昭和26年5月頃に始まって昭和28年の暮まで続き,その間に,ドイツ(13大学),米国(8),インド(2),フランス,デンマーク,スイス,イタリア,カナダ,オーストラリア,ニュージーランド(各1)より,樹木103種261本,種子934袋が寄せられました.また,苗木代として,米国(18),英国(4),スイス,イタリア,インド(各2),西ドイツ,フランス,タイ(各1)から合計37万円の金額が寄贈されました.その他,外国の個人や日本の若干の機関からの協力もありました.  これらの苗木の植栽,種子の取扱い,寄付金で購入する樹種の選定などは,理学部植物学教室の指導で行われました.外国からの苗木や種子は気候風土の違いもあって,順調に育たないものも多くありましたが,それでもかなりのものが生き残り,大学内において大切に育てられました.理学部の移転に伴い,1992年に東千田キャンパスより東広島キャンパスにそれらの樹木の一部が移植され,平和を見守っています.

1984.6.30「学内通信」16期3号(No234)

特集「大学を考えるー創設期の広島大学―」より抜粋転載

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